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おもいゆくままにいきること。

仕事離職後ワ―ホリに行って帰国した人のブログ

いつのまにか諦めてしまっていること

こんばんは!めろんぱんこです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本に帰国してだいぶ時間がたちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルバイトから始まり、仕事、合コン、友人関係など

 

 

めくるめくいろいろと変わって、

 

 

 

 

 

なんとか生きてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、日本にいると

「自分はここにいるから良いや」と

諦めてしまいそうになるときが多々あります。

 

 

 

 

 

 

その80%においては、

 

恐らく体裁を考えて、

「私のレベルならこのくらいで良いや」

「私なんだから、このくらいで諦めるべき」

 

 

 

 

 

 

そんな気持ちがそなわっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもなんかちょっと違うかなって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が人と関わることが得意ではないから、

 

 

 

 

 

でももう体裁で諦めることはしません。

 

なんか良くなくなっても、

 

自分が良いと思ったことするようにしようと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜならば、その体で生きて、

ワーホリ中がとてつもなく楽しかったから。

 

 

 

 

その体で生きて、

ストレス感じなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰よりも自分をわかってるのが自分かどうかはわからないけれど、

 

 

 

 

誰よりも自分を大切にできるのは自分で

 

 

 

 

 

だから。

 

 

 

 

さんかく。

めろんぱんこです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は久しぶりの六本木で、

 

 

 

 

 

ものすごく慣れませんでした笑

 

 

挙動不審のままお店へ…

 

 

 

いつも飲み会に誘ってくれるモデルもやってた方でものすごく美しいんです。

 

お友だちの方も女優さんやってるかたでものすごく美しくて

 

 

 

 

やっぱり綺麗なひとって心も綺麗で

 

 

 

優しいんですよね。

誰にたいしても。

 

 

 

 

 

 

前職の可愛がってくれてた先輩も

すごく綺麗な人たちで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからあながち、綺麗な人が好かれるっていうのも

間違ってる理論ではないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憧れる人はいっぱいいて

みんな見た目も人間としても素敵な人たちで

 

 

 

そんな人に囲まれてるのに

 

どうして私はこんなんなんだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世の中にはいろんな出会いがあって、

 

 

 

 

 

サークル活動を学生時代に経験してない私は

 

 

 

 

みんなでわいわいっていうのにすごく憧れていて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

更に、学生時代にまともな恋愛をしていなくて

 

 

 

 

 

 

 

だからものすごくまともなお付き合いに憧れを抱いていて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今思うなら、

 

 

 

 

 

 

大学生時代にサークルを満喫して

 

まともな人を好きになっていれば、付き合っていれば

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今も何か変わってたことってあったんじゃないかなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が誰かとまともにつきあうこととか

 

まともな人生を送るイメージが全くつかない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憧れを持ってる時点でおかしいのかな

 

 

 

 

 

おかしいよなぁ わたくし

 

 

 

 

 

 

 

 

親も姉も著しく真面目で普通で

 

 

 

破天荒なんて言葉余りにも似合わないのに

なんで私だけこんなんなっちゃったんだろうか

 

 

 

もはや誰にも似てないよなあ。

 

まる。

自分が作ったものを食べることとか

 

 

 

 

 

 

 

息をすること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が見えること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全部がもういいやって思うときがあって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それをとどめてくれるのが

 

 

 

 

 

 

 

 

私の周りにいる人たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Work is not personality.

They don't  know your personality.

So work is not everything.

They don't know everything yourself.

So you don't need care about everything what they said.

Are you OK? 

Work is not personality.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

When I was in Canada, I worked for the bakery. Some customer said me some crazy things.It was kind of doesn't make sense.

Then my co worker said me this things. 

I always remember this which my co worker said. But sometimes even if I remembered this, I couldn't cope with it. I know there are crazy people and creepy people everywhere where I am. However I don't have idea how I can cope with them. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう誰とも関わりたくない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金いらいないから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土地代ゼロのところで家たてて

 

 

 

 

農業して、

 

 

自分で育てて自分で食べて

 

 

誰とも関わらないように生きたいと

 

 

 

どうしようもなく思うときがあることは

おかしいのかな。

 

 

 

 

いわさきしゅんいちさん

めろんぱんこです。

 

 

 

 

岩崎俊一さんって、みなさんご存じですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学時代に。

田園都市線のSALUSていうフリーペーパーに掲載されていた

 

 

 

大人の迷子たちっていうトピックスがあって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生の私でも、いまでも

 

 

 

大好きな文章があって

 

______________________________

 

 地方に住む友人から、娘の結婚式の招待状が届いた。その夜、彼の奥さんから「是非にも」との電話ももらった。
 友人はまじめな男である。公共の色あいが強い会社の技術者として40年勤め上げる一方、朝夕や休日には、父祖伝来の田畑に出る働き者で、毎年季節になると、我が家にダンボール2、3箱の米や野菜を送ってくれる。僕にとっては、何人かいる「かなわない男」のひとりである。
 その彼が「手塩にかけて育てた娘」は、すでにおなかに子どもを宿していた。それだけならよくある話だが、問題は娘の相手が、謹厳な友人一家が出会ったことのない「チャライ男」だということだ。だから、式に一族の老人たちを呼べないという。驚いて腰を抜かすというのだ。とはいえ、大人が全く出ないわけにもいかない。どうやら僕は、そのために選ばれた「腰を抜かさない要員」らしい。
 教会に入って来た新郎を見て感じたのは、落ち着きのなさだった。そわそわと体を動かす。きょろきょろとあたりを見回す。時折舌を出す。式が終った瞬間、列席した仲間と大声ではしゃぎ始めた。記念撮影のため前庭に出ると、式場の門の外に、暴走族風のバイクが幟(のぼり)を立て「祝福」に駆けつけていた。幟には「最狂夫婦」と大書されていた。
 披露宴は、新郎とその仲間の大宴会になった。新郎はマイクを離さず、スピーカーの音が割れるほどの声で何やらまくしたてている。誰かが一気飲みし、誰かが伸ばしたゴムを顔面で受け、誰かが歌い、誰かがはずしたネクタイをベルトに結わえて歩いている。舞台の後ろの壁を見れば、「最狂夫婦」の幟がさんぜんと輝いている。これはどこかで見た風景だと思ったら、毎年1月にニュースで流れる「荒れる成人式」そのものだった。
 会場の「しんと静まり返った側」に座って、僕は昨夜の友人の話を思い出していた。
 娘から話を聞かされた時、彼は「目の前が暗くなった」という。だが、やがてこう考え自分を納得させた。「たとえ、間違った選択であろうと、本人がそうと気づくまで、誰にも止められん」
 披露宴の最後に、整列した新郎新婦と両親にライトが当たる。新郎に父親はいないので、僕は「花嫁の父」が挨拶を始めるものだと思っていた。
 しかし口を開いたのは新郎だった。ふわふわとした言葉を並べる男の隣で、友人はやや俯きながら、口を真一文字に結び、微動だにもせずに前方を凝視していた。無念、という二文字が心に浮かぶ。美しく賢いこの娘の花嫁姿を、友人は敬愛する一族の長老たちにどれほど見せたかっただろうか。
 だが友よ。
 どうか結論を急がないでほしい。親と子の旅は長い。何が幸福の種で、何が不幸の種であるか、僕たち人間にはわからないのだ。ふたりは思いがけなくうまくいくかもしれないし、危惧した通りになるかもしれない。それは、今いる場所からは見えないのだ。そして、たとえ不幸な結果になったとしても、それは別の幸福へのきっかけかもしれない。苦労したらしたで、娘は「人間としての輝きと深み」を増すかもしれない、とも思うのだ。
 そう。勝負は死ぬ時までわからない。

(「SALUS」12月号より引用)

_________________________________

 

 

 

私が心うたれたのは

 

どうか結論を急がないでほしい。旅は長い。

何が幸福の種でー

の部分からです。

 

今いるところからは未來は見えない。けれど

もしかしたらそれが幸福の種なのかな

 

 

 

 

 

 

例えは岩崎さんとは違うけど

未來は、死ぬときまでわからないという文章が、

 

 

 

風みたいに生きたいと思わせてくれることでもあって

 

 

あんまり人と深く関わりたくない

どう頑張っても、おいつけないこと

お久しぶりです。めろんぱんこです。

 

 

 

 

わたくし、見ず知らずのひとに話しかけられることが多いんです。

 

 

 

イヤホンをつけていて、周りにイヤホンをつけていない人がいるにも関わらず

 

道を聞かれることが多いっていう人間です。

 

 

 

 

更に今日はスーパーマーケットで買い物をしていたら、

孫にお菓子を買いたいというおばあちゃんに

話しかけられて、

おばあちゃん「このお菓子、孫に良いかしら?」

めろんぱんこ「??ええとー、はい、多分良いとおもいますよ?」

お「これなにがはいってるのかしら?」

め「この四種類のお菓子がはいってるみたいですよ。」

お「そうなのね、可愛いもの孫が好きで…あなたも買った?」

め「あ、はい、買いましたよ。(かごをみせる)」

お「じゃぁ安心ね。ひとつ買おうかしら。ありがとうね。」

 

 

 

みたいな。

 

某お菓子会社の役に立ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

という風に、話しかけやすいみたいなんですよね。私。

 

 

 

 

だから会社でも八つ当たりの的になってしまったり、

社長に直接言いづらいことを伝えられて、

私が社長に伝えなきゃいけなくなってしまうパターンが多くて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この間はそれが立て続けで

 

 

会社で泣きました。

 

 

 

 

 

 

正確にいうと

社長に

 

「それを伝えるのはあなたの仕事じゃないですよ。

彼らが直接僕に伝えるべきなんですよ。」

 

 

ていってもらえたのにほっとして

 

 

泣いてしまったのが正しいですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この国にいると視野が狭くなってしまって

 

目の前にある世界が全てになってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも世界はもっと広くて、

 

自分の目の前にある世界だけが世界じゃないってこと、

 

信じたくてワーホリに言って

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワーホリに行く前までは何かあったら死にたいって思ってました。

 

 

 

 

 

 

 

 

会社で嫌なことがあったら

 

告白してふられたら

 

上手くいかないとこがあったら

 

 

 

 

「死にたい」

 

に直結して

 

 

 

 

 

 

それがワーホリに行ってから無くなって

 

 

 

それだけは、英語以上に行ってからの成果だと思えることで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのあとのアメリカ旅行で

ホームステイしていたお宅にいって

ホストファミリーのホストだった子が

結婚してお母さんになってて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぶしい日差しと

 

庭で育ててる野菜と

 

家族のあたたかさと

 

ごはんの美味しさと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうがんばってもおいつけない

 

 

 

 

 

 

 

 

しあわせとか、あたたかさとか

 

 

 

 

 

 

 

 私にとっては、どう考えても

 

手に入れられないことだと思う

 

 

2つ目の会社にはいって気づいたこと

お久しぶりです!めろんぱんこです。

 

 

 

 

未だに海外は楽しかったなぁと思うことが多いですが

 

 

 

今日は転職してきづいたことについて書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

転職して2ヶ月が過ぎた。

 

 

慣れてきたとはほど遠いが、

当たり前のように会社に行って、

当たり前のように仕事をして、

当たり前のように帰宅する日々が続いていて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「社会人」

 

というものに、再度なりつつあるのかなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

 

就活中、アルバイトをしていた頃のほうが現実感が無いのだ。

 

 

 

 

それほど、おそらく私の「日本での生活」は、

もはや自分が「社会人」なくしてならないのだと実感させられるようでもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、どうしても今違和感を覚えるのだ。

 

 

 

何に文句があるわけではない。

 

 

 

 

でもまるで、今の生活が

 

観たいテレビ番組がないのにチャンネルをまわして

適当な番組を流して目をやっている

 

というような感覚に常に陥っている。

 

 

 

 

 

 

ほんのすこしではあるのだが

苛立ちが常にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日前職で同じ部署だった先輩たちと会った。

 

 

 

 

 

変わらず元気で明るくて、未だに憧れることができる存在だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前職の会社は若い人が多かった。

 

 

ほぼ20代で、年齢が高くても35歳くらいまでの社員が多かった。

 

 

 

 

私は社風が嫌いだった。

 

 

感覚でものを考え、何を決断するにもデータなどの分析をせずに勢いだけで決めてしまう社風が

嫌で嫌で仕方がなかった。

 

 

 

唯一の救いだったのは、人事部という

少しでも慎重に発言をして、少しでも慎重にものを考えなければならない部署に異動になったことだった。

 

 

 

 

 

全てが全てというわけでは無かったのかもしれないが、

 

感覚でものを考え、成功の結果がみえなくても突き進んでしまうという社風が

嫌で嫌で仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

だが

 

 

転職した今日思うことは

 

 

 

前職の会社は若いが故に失敗も多くし、

若いが故に感覚で動き、

若いが故に辻褄が合わないことが多かったが、

 

 

 

一方で

若いが故に皆素直であった。

 

 

 

 

何かをしてもらったら「ありがとう」を必ず言えた。

 

間違えたら「ごめんなさい」を必ず言えた。

 

 

 

例えどんなに忙しくても

役職についている人でも

何かをしてもらったらさらっとでも皆感謝を言える人たちだった。

 

 

そして、皆ストレートにものを言えた。

ストレートにものを言われることはこわいと感じることもあったが、

まわりくどく言う人も怒るひとも一人もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

今はそれらが欠けている会社に私はいる。

 

年齢がほぼ40歳代、50歳代の人たちの中で働いているということもあるかもしれない。

 

もちろん皆が皆ではないが、

 

 

先日前職の先輩たちと会って

この違和感を実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勤めていたころは

若いが故の素直さなんて取るに足らないものだと思っていた。

 

 

かっこいい社会人はもっと慎重に物事を考えて

しっかりとした会議をして

 

 

 

だが今思うことは

自分が取るに足らないことだと思っていたことは

そうでは無かったのだということである。

 

 

 

 

 

だから今会社を嫌だと感じている人たちがいるのであれば

 

 

今一度考えてほしい。

 

 

 

嫌な部分しか見えないかもしれないが

 

取るに足らないと思っていることは

もしかしたら他の会社にはないことなのかもしれない。

 

それがその会社の良さであり、

もしかしたら自分が手放してはいけないことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は会社をあのタイミングで辞めてワーキングホリデーに行ったことも

転職して今の会社に入ったことも後悔はしていない。

 

 

 

今私がこう感じることも

企業には多かれ少なかれ、良い点と悪い点があるはずなのだ。

 

 

 

そして、私があの頃会社が嫌だったことは確かなのだ。

私の場合、ワーキングホリデーに行くという前向きな理由で辞めることができたことが救いである。

 

 

 

 

なにも転職をするなとは言わない。

 

 

ただ、会社のせいにして会社を辞めるのは

必ず後で後悔することになると思うのだ。

 

 

 

今一度自分のいる会社をみつめて、

良い部分も悪い部分も認めた上で

 

それでも手にいれたいものをつかむために前進してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

後悔はしていないと書いたが、

今でも勤めていたらと、ふいに思うことがある。

 

 

 

 

 

隣の芝生は青く見える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

某歌手の

Elder flower cordialの冒頭の歌詞が

このところ頭から離れない。

 

 

 

 

ひとりがすき。

三連休あっというま。めろんぱんこです。





気づいたことがありまして




昨日スイスで会った人と飲んでて

「人付き合いが苦手というか、

ひとが嫌いというか、



一人が好きなだけじゃない?」





なんかすごく納得しました。






別に良いことだと想うんだけどなあ。
ひとりがすきっていうの。







今まで私人付き合い苦手とか
人を好きじゃないんだとか思ってたけど




単純にひとりが好きなんだということに気づきました。









わりとわかってもらえない感覚で

わかる人にはわかると思うんだけども






なんか自分てやっぱり変わってるのかなぁと思ったり






自分のことを誰も知らない場所で


誰にも干渉されずに生きれたらと


思うことがあったり






一方、どうしようもなく誰かに会いたくなることもあったり











でも結局は根本にあるのは



ひとりがすきなんだろうなと思います。







ヨーロッパとかアメリカとかカナダとか




だからなんだよねたのしかったのは











良いことだと思うんだけどなぁ。ひとりがすきって。