おもいゆくままにいきること。

仕事離職後ワ―ホリに行って帰国した人のブログ

幸せの大きさ

人生において、可能性は無限大なのかもしれないと思うときがある。

 

 

 

行きたい場所があってもなかなか行かなかった自分

 

動かなかった自分

 

 

当たり前のようにある「当たり前」に乗り、

「それ」をしなかったのは誰?と問いかける。

 

 

 

 

目の前のことに夢中になることもある

 

周りがみえなくなるときもある

 

 

失敗することもある

 

 

 

 

それでも、今無いことに嘆くよりも、あることを楽しもうとする人がいたり、

 

今までであった28歳よりも、もっとずっと目が輝いている人がいたり、

 

 

 

 

ふと歩いた瞬間に右か左か、そのまま進むのか

 

例えば右に行ったとしたら出会えなかった人がいて

 

例えば左に行ったとしたら出会えなかった人がいて

 

 

 

沢山の選択肢が積み重なり、その上に今があるのであれば

 

例えば傷ついたとしても、

 

騙されたとしても、

 

苦しかったとしても泣いたとしても

 

 

一生こんな思いしたくないと思ったとしても、

 

 

 

「ああこんな人になりたい」と思う人に出会えたのであれば

 

「いつまでもそんな気持ちを持ち続けたい」と思えたのであれば

 

 

「当たり前」が「当たり前」でない世界に進むことができたのであれば

 

 

その選択肢は決して間違いではないのだ。

 

 

 

 

 

毎日に疲れるよりも、毎日を楽しむこと

 

次の日を考えて、夜寝ることが楽しみと思えるようになること

 

朝を迎えることが楽しみと思えるようになること、

 

 

 

遠い未来のことも、近い未来のことも、楽しみと思えるようになること

 

10年後を想像してわくわくするのも良いし、

明日どんなことがあるのか期待するのも良い。

 

 

今日食べたアイスが美味しかったとか、天ぷらを上手に揚げることができたとか、

自然に笑えたとか、新しい友人ができたとか、

行きたかったところに行けたとか

 

 

 

幸せに大きいも小さいもない

 

幸せは大きさでははかれない。

 

 

 

もしもその幸せを小さいと思ってしまうのであれば、

その感情は自分にとって本当に小さなことだったのか

 

 

そこで出会った人たちや、

楽しいと思えたこと、美味しいと思えたこと、

自分がその一瞬一秒で感じた感情は、

 

それは本当に小さなことなのか。

 

 

 

もしもその幸せを小さいと感じてしまうのであれば、

 

一体誰がその大きさをはかることができるのだろう。

 

 

 

人の感情をものさしではかることはできない。

 

 

自分の感情を否定してしまうことは、とても悲しいこと。

 

自分が素直に感じた気持ちを大切にできること、素直に伝えられること

 

 

 

 

自分が感じたこと

笑うことができること

楽しいと思えること

嬉しいと思えること

 

 

それは紛れもなく、誰のものでもない

この世界でたったひとつだけの

「自分の幸せ」以外に他ならない。