おもいゆくままにいきること。

新卒で料理系会社の正社員→辞めてカナダワーホリ→帰国してスポーツジム系会社の正社員→辞めて今アルバイトな人のブログ。海外旅行が大好きで行くときは一人旅でゆるーく旅してます。人生迷走中です。よろしくお願いします。

まる。

自分が作ったものを食べることとか

 

 

 

 

 

 

 

息をすること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が見えること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全部がもういいやって思うときがあって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それをとどめてくれるのが

 

 

 

 

 

 

 

 

私の周りにいる人たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Work is not personality.

They don't  know your personality.

So work is not everything.

They don't know everything yourself.

So you don't need care about everything what they said.

Are you OK? 

Work is not personality.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

When I was in Canada, I worked for the bakery. Some customer said me some crazy things.It was kind of doesn't make sense.

Then my co worker said me this things. 

I always remember this which my co worker said. But sometimes even if I remembered this, I couldn't cope with it. I know there are crazy people and creepy people everywhere where I am. However I don't have idea how I can cope with them. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう誰とも関わりたくない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金いらいないから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土地代ゼロのところで家たてて

 

 

 

 

農業して、

 

 

自分で育てて自分で食べて

 

 

誰とも関わらないように生きたいと

 

 

 

どうしようもなく思うときがあることは

おかしいのかな。

 

 

 

 

いわさきしゅんいちさん

めろんぱんこです。

 

 

 

 

岩崎俊一さんって、みなさんご存じですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学時代に。

田園都市線のSALUSていうフリーペーパーに掲載されていた

 

 

 

大人の迷子たちっていうトピックスがあって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生の私でも、いまでも

 

 

 

大好きな文章があって

 

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 地方に住む友人から、娘の結婚式の招待状が届いた。その夜、彼の奥さんから「是非にも」との電話ももらった。
 友人はまじめな男である。公共の色あいが強い会社の技術者として40年勤め上げる一方、朝夕や休日には、父祖伝来の田畑に出る働き者で、毎年季節になると、我が家にダンボール2、3箱の米や野菜を送ってくれる。僕にとっては、何人かいる「かなわない男」のひとりである。
 その彼が「手塩にかけて育てた娘」は、すでにおなかに子どもを宿していた。それだけならよくある話だが、問題は娘の相手が、謹厳な友人一家が出会ったことのない「チャライ男」だということだ。だから、式に一族の老人たちを呼べないという。驚いて腰を抜かすというのだ。とはいえ、大人が全く出ないわけにもいかない。どうやら僕は、そのために選ばれた「腰を抜かさない要員」らしい。
 教会に入って来た新郎を見て感じたのは、落ち着きのなさだった。そわそわと体を動かす。きょろきょろとあたりを見回す。時折舌を出す。式が終った瞬間、列席した仲間と大声ではしゃぎ始めた。記念撮影のため前庭に出ると、式場の門の外に、暴走族風のバイクが幟(のぼり)を立て「祝福」に駆けつけていた。幟には「最狂夫婦」と大書されていた。
 披露宴は、新郎とその仲間の大宴会になった。新郎はマイクを離さず、スピーカーの音が割れるほどの声で何やらまくしたてている。誰かが一気飲みし、誰かが伸ばしたゴムを顔面で受け、誰かが歌い、誰かがはずしたネクタイをベルトに結わえて歩いている。舞台の後ろの壁を見れば、「最狂夫婦」の幟がさんぜんと輝いている。これはどこかで見た風景だと思ったら、毎年1月にニュースで流れる「荒れる成人式」そのものだった。
 会場の「しんと静まり返った側」に座って、僕は昨夜の友人の話を思い出していた。
 娘から話を聞かされた時、彼は「目の前が暗くなった」という。だが、やがてこう考え自分を納得させた。「たとえ、間違った選択であろうと、本人がそうと気づくまで、誰にも止められん」
 披露宴の最後に、整列した新郎新婦と両親にライトが当たる。新郎に父親はいないので、僕は「花嫁の父」が挨拶を始めるものだと思っていた。
 しかし口を開いたのは新郎だった。ふわふわとした言葉を並べる男の隣で、友人はやや俯きながら、口を真一文字に結び、微動だにもせずに前方を凝視していた。無念、という二文字が心に浮かぶ。美しく賢いこの娘の花嫁姿を、友人は敬愛する一族の長老たちにどれほど見せたかっただろうか。
 だが友よ。
 どうか結論を急がないでほしい。親と子の旅は長い。何が幸福の種で、何が不幸の種であるか、僕たち人間にはわからないのだ。ふたりは思いがけなくうまくいくかもしれないし、危惧した通りになるかもしれない。それは、今いる場所からは見えないのだ。そして、たとえ不幸な結果になったとしても、それは別の幸福へのきっかけかもしれない。苦労したらしたで、娘は「人間としての輝きと深み」を増すかもしれない、とも思うのだ。
 そう。勝負は死ぬ時までわからない。

(「SALUS」12月号より引用)

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私が心うたれたのは

 

どうか結論を急がないでほしい。旅は長い。

何が幸福の種でー

の部分からです。

 

今いるところからは未來は見えない。けれど

もしかしたらそれが幸福の種なのかな

 

 

 

 

 

 

例えは岩崎さんとは違うけど

未來は、死ぬときまでわからないという文章が、

 

 

 

風みたいに生きたいと思わせてくれることでもあって

 

 

あんまり人と深く関わりたくない

どう頑張っても、おいつけないこと

お久しぶりです。めろんぱんこです。

 

 

 

 

わたくし、見ず知らずのひとに話しかけられることが多いんです。

 

 

 

イヤホンをつけていて、周りにイヤホンをつけていない人がいるにも関わらず

 

道を聞かれることが多いっていう人間です。

 

 

 

 

更に今日はスーパーマーケットで買い物をしていたら、

孫にお菓子を買いたいというおばあちゃんに

話しかけられて、

おばあちゃん「このお菓子、孫に良いかしら?」

めろんぱんこ「??ええとー、はい、多分良いとおもいますよ?」

お「これなにがはいってるのかしら?」

め「この四種類のお菓子がはいってるみたいですよ。」

お「そうなのね、可愛いもの孫が好きで…あなたも買った?」

め「あ、はい、買いましたよ。(かごをみせる)」

お「じゃぁ安心ね。ひとつ買おうかしら。ありがとうね。」

 

 

 

みたいな。

 

某お菓子会社の役に立ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

という風に、話しかけやすいみたいなんですよね。私。

 

 

 

 

だから会社でも八つ当たりの的になってしまったり、

社長に直接言いづらいことを伝えられて、

私が社長に伝えなきゃいけなくなってしまうパターンが多くて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この間はそれが立て続けで

 

 

会社で泣きました。

 

 

 

 

 

 

正確にいうと

社長に

 

「それを伝えるのはあなたの仕事じゃないですよ。

彼らが直接僕に伝えるべきなんですよ。」

 

 

ていってもらえたのにほっとして

 

 

泣いてしまったのが正しいですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この国にいると視野が狭くなってしまって

 

目の前にある世界が全てになってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも世界はもっと広くて、

 

自分の目の前にある世界だけが世界じゃないってこと、

 

信じたくてワーホリに言って

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワーホリに行く前までは何かあったら死にたいって思ってました。

 

 

 

 

 

 

 

 

会社で嫌なことがあったら

 

告白してふられたら

 

上手くいかないとこがあったら

 

 

 

 

「死にたい」

 

に直結して

 

 

 

 

 

 

それがワーホリに行ってから無くなって

 

 

 

それだけは、英語以上に行ってからの成果だと思えることで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのあとのアメリカ旅行で

ホームステイしていたお宅にいって

ホストファミリーのホストだった子が

結婚してお母さんになってて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぶしい日差しと

 

庭で育ててる野菜と

 

家族のあたたかさと

 

ごはんの美味しさと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうがんばってもおいつけない

 

 

 

 

 

 

 

 

しあわせとか、あたたかさとか

 

 

 

 

 

 

 

 私にとっては、どう考えても

 

手に入れられないことだと思う

 

 

2つ目の会社にはいって気づいたこと

お久しぶりです!めろんぱんこです。

 

 

 

 

未だに海外は楽しかったなぁと思うことが多いですが

 

 

 

今日は転職してきづいたことについて書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

転職して2ヶ月が過ぎた。

 

 

慣れてきたとはほど遠いが、

当たり前のように会社に行って、

当たり前のように仕事をして、

当たり前のように帰宅する日々が続いていて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「社会人」

 

というものに、再度なりつつあるのかなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

 

就活中、アルバイトをしていた頃のほうが現実感が無いのだ。

 

 

 

 

それほど、おそらく私の「日本での生活」は、

もはや自分が「社会人」なくしてならないのだと実感させられるようでもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、どうしても今違和感を覚えるのだ。

 

 

 

何に文句があるわけではない。

 

 

 

 

でもまるで、今の生活が

 

観たいテレビ番組がないのにチャンネルをまわして

適当な番組を流して目をやっている

 

というような感覚に常に陥っている。

 

 

 

 

 

 

ほんのすこしではあるのだが

苛立ちが常にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日前職で同じ部署だった先輩たちと会った。

 

 

 

 

 

変わらず元気で明るくて、未だに憧れることができる存在だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前職の会社は若い人が多かった。

 

 

ほぼ20代で、年齢が高くても35歳くらいまでの社員が多かった。

 

 

 

 

私は社風が嫌いだった。

 

 

感覚でものを考え、何を決断するにもデータなどの分析をせずに勢いだけで決めてしまう社風が

嫌で嫌で仕方がなかった。

 

 

 

唯一の救いだったのは、人事部という

少しでも慎重に発言をして、少しでも慎重にものを考えなければならない部署に異動になったことだった。

 

 

 

 

 

全てが全てというわけでは無かったのかもしれないが、

 

感覚でものを考え、成功の結果がみえなくても突き進んでしまうという社風が

嫌で嫌で仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

だが

 

 

転職した今日思うことは

 

 

 

前職の会社は若いが故に失敗も多くし、

若いが故に感覚で動き、

若いが故に辻褄が合わないことが多かったが、

 

 

 

一方で

若いが故に皆素直であった。

 

 

 

 

何かをしてもらったら「ありがとう」を必ず言えた。

 

間違えたら「ごめんなさい」を必ず言えた。

 

 

 

例えどんなに忙しくても

役職についている人でも

何かをしてもらったらさらっとでも皆感謝を言える人たちだった。

 

 

そして、皆ストレートにものを言えた。

ストレートにものを言われることはこわいと感じることもあったが、

まわりくどく言う人も怒るひとも一人もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

今はそれらが欠けている会社に私はいる。

 

年齢がほぼ40歳代、50歳代の人たちの中で働いているということもあるかもしれない。

 

もちろん皆が皆ではないが、

 

 

先日前職の先輩たちと会って

この違和感を実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勤めていたころは

若いが故の素直さなんて取るに足らないものだと思っていた。

 

 

かっこいい社会人はもっと慎重に物事を考えて

しっかりとした会議をして

 

 

 

だが今思うことは

自分が取るに足らないことだと思っていたことは

そうでは無かったのだということである。

 

 

 

 

 

だから今会社を嫌だと感じている人たちがいるのであれば

 

 

今一度考えてほしい。

 

 

 

嫌な部分しか見えないかもしれないが

 

取るに足らないと思っていることは

もしかしたら他の会社にはないことなのかもしれない。

 

それがその会社の良さであり、

もしかしたら自分が手放してはいけないことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は会社をあのタイミングで辞めてワーキングホリデーに行ったことも

転職して今の会社に入ったことも後悔はしていない。

 

 

 

今私がこう感じることも

企業には多かれ少なかれ、良い点と悪い点があるはずなのだ。

 

 

 

そして、私があの頃会社が嫌だったことは確かなのだ。

私の場合、ワーキングホリデーに行くという前向きな理由で辞めることができたことが救いである。

 

 

 

 

なにも転職をするなとは言わない。

 

 

ただ、会社のせいにして会社を辞めるのは

必ず後で後悔することになると思うのだ。

 

 

 

今一度自分のいる会社をみつめて、

良い部分も悪い部分も認めた上で

 

それでも手にいれたいものをつかむために前進してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

後悔はしていないと書いたが、

今でも勤めていたらと、ふいに思うことがある。

 

 

 

 

 

隣の芝生は青く見える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

某歌手の

Elder flower cordialの冒頭の歌詞が

このところ頭から離れない。

 

 

 

 

ひとりがすき。

三連休あっというま。めろんぱんこです。





気づいたことがありまして




昨日スイスで会った人と飲んでて

「人付き合いが苦手というか、

ひとが嫌いというか、



一人が好きなだけじゃない?」





なんかすごく納得しました。






別に良いことだと想うんだけどなあ。
ひとりがすきっていうの。







今まで私人付き合い苦手とか
人を好きじゃないんだとか思ってたけど




単純にひとりが好きなんだということに気づきました。









わりとわかってもらえない感覚で

わかる人にはわかると思うんだけども






なんか自分てやっぱり変わってるのかなぁと思ったり






自分のことを誰も知らない場所で


誰にも干渉されずに生きれたらと


思うことがあったり






一方、どうしようもなく誰かに会いたくなることもあったり











でも結局は根本にあるのは



ひとりがすきなんだろうなと思います。







ヨーロッパとかアメリカとかカナダとか




だからなんだよねたのしかったのは











良いことだと思うんだけどなぁ。ひとりがすきって。

海外は良かったなあと思う理由、日本はいやだなあと思う理由

新居もきまってひっこしも決まって

 

 

次楽しいことってなんだろなあ。

 

 

 

飲みにいくのも楽しいけど

 

なんかそういうのじゃなくって

 

 

わくわくするようなのがほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間関係つかれた。

 

というかいろいろと人と関わりすぎたよ。

 

人間関係で悩むのが嫌で海外いったのにね

 

帰国したらすぐこれだもんな。

 

 

 

 

良くない循環

 

 

 

 

多分私あんまり、人と関わることに積極的にならないほうが良いんだろうな。

 

人間関係に悩むとか疲れるとか

いままでずっとそうだったけど

 

 

なんか私ににあわない。

 

 

 

 

もうめんどくさいこと全部捨ててこう。

 

 

で、あとから良かったことだけ拾い上げてけばいいや。

 

 

 

 

 

 

それでだれもいなくなったとしても、

 

なんかもうそれはそれでいいかなあ。

自分が死ななければいいや。生きてればそれでいいや。

 

 

 

 

がんばってる人はかっこわるいけれども

人からなにいわれても

自分がそれでよければそれでいいかなあ

 

 

 

 

いろいろ考えるの疲れてしまった。

 

考えるのやめよ。めんどくさい

 

 

 

 

 

 

多分、海外楽しかったなあーとか

 

日本自分にやっぱりあわないなあーとか

 

 

 

思ってたけど、

多分原因は日本にはなくて

 

 

自分自身にあるんだと気づきました。

 

 

 

 

いっこまえのブログにもかいたけれども、

 

自分でやらなきゃっていうのが海外では前提で

その上で誰かが助けてくれたりして

 

 

自分のことは自分で解決しようとすること、

どうにかして抜け出そうと自分でしようとすること、

 

それを、海外だと当たり前みたいに出来てたんだと思います。

 

 

 

 

 

日本だとどうしても、

これはこうなのにっていうのがあって

 

どうしても、人に甘えてしまう部分があって

自分のことなのに、自分で解決しようとできないことがあって、

 

そうすると、どんどん歯車がくいちがってきて

 

 

 

 

でも就活も、家探しも、うまくいったのは、

もちろん人の応援があったからこそなんだけど

自力で解決しようと思えていたのだと思います。

 

 

 

日本の当たり前が嫌いと言いつつ、

皮肉なことに、その当たり前に甘えていたのは私自身で、

 

日本は合わないと言いつつ、

その合わなさが自分の考え方に原因があると考えずに

日本の環境のせいにして

 

 

本当に考えが甘かったなと、今は思います。

 

 

 

 

要は自分の考え方次第で、

 

誰かが助けてくれるとか、そういうのじゃなくて

自分のことは自分で頑張って解決しようとすれば 

結果は必ずついてくるし、

解決できる力もあるし、

 

だから、そういうスタンスでこれから生きていければ

きっといろいろ上手くいくんじゃないかなって思うんですよね。

 

 

 

帰国してから5ヶ月目にはいろうとしています。

 

4ヶ月間いろいろ悩んだけれど、

結論として、この結論にたどり着けたので、

間違いなく、苦しかったこととか、つらかったこととか、

悩んだ時間は

間違いなく、無駄ではありませんでした。

 

 

 

明日からもがんばろ

やっとやっと、新たな門出

めろんぱんこです。

 

今日やっと、家の契約をしてきました。

 

引っ越しの申し込みもしたし、

あとは鍵が届いて来週の引っ越しを終えれば

 

やっとこさ、新たなスタートです。

 

 

 

帰国してからアルバイト、就活、就職、独立…と

計画していたことが順調に(いろいろあったけど)進んでます。

 

 

 

 

 

ここまでしか計画してなかったので

この先何しようかなあーて感じです。

 

 

でもやっと落ち着けそう。

ここがゴールじゃなくてスタートなんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰国してからのこの4ヶ月間は

 

なんが本当がむしゃらに走りきったってかんじです。

 

 

 

いろいろがんばったなあー。

 

アルバイトやりつつ就活もしつつ、

特に1月に入ってからは本気で就活やり始めて

 

 

そのなかで店長(32歳)ともいろいろあって

 

私本当呪われてるくらい32歳の人と良いことあったことない笑

 

 

 

 

本当よくあのとてつもなく精神不安定な状況で就活して

自分に合った会社見つけて内定とったよなあと

 

本気で自分をほめたたえたい…。

 

 

一夫多妻制を推奨するとか彼女の前で言う人に初めて会ったし、

男って一夫多妻制になったらなんで自分の取り分が増えると思ってるんだろうっていう

あのよく出回ってる言葉に一瞬で納得できた瞬間だったなあ…。

 

 

 

一週間は本当もう私だれとも付き合えない的などん底な気持ちになってたけど

一週間たてばさくっと忘れられるそんな自分を私は好きです。

 

 

 

 

その後新しくまともな彼氏もできまして

 

 

ピンチはチャンスとはこのことだった。

 

 

 

 

 

 

でもほんとに、

ワ―ホリ行って自分変わったなあと思います。

 

 

多分行く前だったらこの状況ですぐ死にたいって思ってた

 

 

いろんな人に助けてもらって海外では生きていたけど

 

結局はトラブルをどう解決するのか考えるのは自分だし

行動するのも自分だし

 

 

最終的には自分を守れるのは自分しかいない

 

自分を好きになれるのも自分しかいないんだよね

 

 

 

 

 

親もとを離れて一人で海外で生活して

人間関係も築いて頑張って生きて

 

ああなんか、私ひとりでいきてけんじゃんって思ったんだよね

もちろんみんなの助けがあったからこそなんだけど、

ひとりでって言うのは、誰かに依存しなくてっていう意味で

だれかが必ずしも助けてくれるという状況ではない中で

いろんなところに移動して、挑戦して

そのスタンスの上で、助けてくれる人と会ったりして、

協力してくれるひとと出会えて

信頼関係を築いて

 

 

だからなんか今の状況も

 

親になんと言われていても

前みたいに「おわった、人生つんだ、死にたい」とは思わなくなった

 

 

どうやったらこの不安定な、いやな状況から抜け出せるかなあって考えるようになって

自分自身で決めて、動けるようになって

だからなんか、帰国してから4ヶ月間いろいろあったけど

店長とのこととか、親とのこととか

前だったら死にたくなる要素満載だったけど

一度も死にたいとは思わなくて、頭もよぎらなくて

 

まずはどうすれば解決できるかなと考えられるようになったんだ。

 

 

 

なんかこの4ヶ月間、モラトリアムのようでした。

現実感がない

 

 

 

 

 

 

 

 

人生に妥協したくない。

 

やりたいこと全部やって、

後悔してない!幸せだった!と思いながら死にたい。

 

 

 

 

就職して経済的にも安定しだしたし

 

ああなんかひとりでも生きてけるんじゃないかなあとか思っている。

人と関わることがまたしても疲れてしまった。

それがたとえ親でさえも。

親は親だけど、ひとりの人間で、わかりあえない部分が多くて

 

なんで私この人だちのこどもなんだろって思った

 

考え方似てないし

前に親に「私たちの悪いところを合わせたのがあなたなのよ」って言われたことがある。

 

前にって言っても、多分小学生とか中学生のときだった。

でも衝撃的すぎて今でもまだ覚えてるし

 

 

 

 

 

ああそうかあーて思った

 

 

 

 

 

父親に殴られたこともある。

身体押さえつけられてカッタ―首に突き付けられたこともある。

 

このまま死ぬか?て聞かれたこと、十年以上たった今でも覚えてる。

 

 

 

 

彼はもう覚えてないだろうけどね。

 

 

母はそれを、

そばで見てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうだよね

こんな出来の悪い娘なんか誰だっていらないよ。

出来の良い、価値観の合うもう一人の娘がいるんだもんね。

 

そりゃそうなるわ

 

そうだよなあ。

 

 

 

 

 

交友関係は広く持たなきゃと思ってたけど

 

自分のことを理解してくれる人が数人いればいいやって

今は思う

 

 

 

 

 

いろいろやなことあるけど、

そんなの人生の0.1ミリに過ぎないし

 

 

 

 

自分が嫌だなって思ったら、

さくっと捨てちゃって良いと思うんだ。

 

それがたとえ人間関係だったとしても

 

 

 

自分のキャパは決まってるし

古いものは捨てないと新しいものもいれることはできないんだよ。

 

 

 

 

 

 

疲れちゃったなあ

 

 

でも来週からほんと、全部リセットして、新たな門出で

頑張って生きよう。

 

 

良いこともたくさんあるし

 

あるはずだし、

 

 

 

 

あるはずだし

 

 

きっと大丈夫。

 

 

 

 

自分を守れるのも自分しかいないし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海外行って、生きる力を最大限に身につけた私は大丈夫!

 

だいじょうぶ だいじょうぶ

 

 

と自分に言い聞かせていきます